不二稿京のニャンコ先生のおうち

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

怪人二十面相に涙す

今、芝居をやっている。寺山修司の初期の作品「ガリガリ博士の犯罪」。不勉強のフジワラが思う、寺山さんのこれは原点つまりカルトの作品だ。尖った水晶のかけらのような言葉が乱立している。混濁は切ない絶望的な望みを怪人二十面相の誕生にまで膨張させ慟哭させる。わたしはその痛ましい青年の背中に涙する、許された場所を知らない少年寺山の震える肩に涙する。
そして怪人二十面相は叫ぶ、寺山のタマシイとわたしらの肉体をつかって「 ここは どこだ、まだどこでもないなら 俺が名づけてやろう おまえは誰だ まだ誰でもないなら 俺が名づけてやろう。 生きるというのは化けること。 お父さん 聞いておどろくな 僕は今こそ 怪人二十面相の正体を見せてやろう 」。
スポンサーサイト

未分類 | コメント:1 | トラックバック:0 |
<<ポイ捨て煙草野郎がぁ! | HOME |

この記事のコメント

短い文章だけれど、なんだかすごくいいですね。
うまく言えないけど、そうだよなあと読み返しては一人頷き、しみじみと胸が熱くなりました。

作品が書かれた時代背景がどうだとか、文学的な分析、批評がどうだとかそういうことじゃなく、難解だ、複雑だなんてそんなことでもまったくなくって、寺山修司はただ孤独の闇の中でガタガタと震え、痩せ細っていく魂を慰める為に必死で言葉を綴り、見知らぬ誰かを探す為に虚空に向かって叫び投げかけているだけじゃないかというそんな感じが自分はしていたので、ブログの文章は時間を超えて青年に贈られた返事という風に思え、羨ましいというか寺山修司に嫉妬を感じつつも、しかしまるで自分のことのように有り難く、嬉しく思いました。
取り留めなく、すいません。怒髪天日記、また更新される日を気長に楽しみにしています。
2009-06-22 Mon 14:07 | URL | ぐっち #-[ 編集]

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。