不二稿京のニャンコ先生のおうち

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「小さなやさしさが救うもの・・」

新聞の集金人をしていた頃、嫌な目に随分あった。 サービス品を欲しがるおばさんにずっしり札束の入った財布を見せられ、 「隣の〇〇新聞は毎月、洗剤持ってくるのよ、何もって来た?」 「契約更新の場合しか洗剤とかは・・」 「あ、そ、じゃあ、明日集金に来て。今日は払いたくないから」札束びろ~ん。 「あのねぇ、読んだんでしょ新聞。代金払うのは当たり前ですよ。」 「な、な、な・・・!!絶対払わないよ!新聞替えるよ!」 「それはね、泥棒っていうんですよ!」 「ナ、ナ、ナ、・・フギャアフギャア!!!!」・・店に帰って怒られた。 ある日、指定の時間に行って、出て来ない家があった。よくあることだ。 暗くなって再び行くと「来て、と言った時間に何故来なかったのよ!」 「伺いましたけど、出て来られなかったんですよ」 「嘘つかないで!居たよ!ギャアギャア・・!」と物凄く罵られ嘘つきにされた。 怒りの気持ちを抱えたまま、次の家のブザーを押した。どうせまた、怒鳴られる。 私の顔はきっと、暗く歪んでいただろう。開く扉の向こうに憎しみを向けていた。すると、「あら、ごめんなさいね、こんな暗くなって来てもらって。私が昼間、留守にしてたからなのね。」驚いた。やさしい声だった。 私は引き攣った顔を何とか微笑ませて「いいえ、こんな遅く伺いまして・・」 「ごめんなさいね、来てくれてありがとう。」 怒りで黒く固まっていた心に、やさしい声の一滴がしみ込んで溶けていった。 怒りは連鎖してゆく。私はこの優しい人の家のベルを怒りの心で押していた。嫌な声で「新聞の集金です。」と言った。それなのに、そのやさしい声は黒い淀みを溶かしてくれたのだ。やさしさのひとかけらがどす黒い怒りを溶かすと私は知った。 やさしい涙の一滴が、悲惨な血だまりを清らかにしてゆく一滴だということ、 希望とは、救いとはその一滴を信じることだと、知ったのはそれからだ。
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