不二稿京のニャンコ先生のおうち

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「黄金バットの稽古をしながら」


子供の頃の風呂は地獄だった。母は、私を湯船に浸けたまま蓋をして、出て来ぬように尻を載せて湯上りの着替えをした。私は蓋と湯の間の狭い蒸気の中で、口をパクパクさせて茹でダコになってやっと息をした。「この子はバカだけん、もうのぼせとるばい。」とフラフラで引き上げられて怒鳴られながら服を着た。苦しかった、ただただ苦しかった。

そんな出来そこないのションベンタレの私は、しょっちゅう失禁した布団で簀巻きにされた。母の愛人が「キツク仕置きせんと、治らん」と恐ろしい顔して見下ろしていた。「半殺しはいやばい、いやばい」と、泣き叫んでもあっという間にぐるぐる巻きにされて、分厚い布団が鼻と口を塞いだ。声を限りに泣くと、母の重たい尻が布団の上にドンと載った。熱い自分のわずかな息が顔を覆って、それも絶えるともう気の遠くなる苦しさで意識が消えていった。しばらくして、布団を開いて動かぬ私を見て、母と愛人は「この子はすーぐ、半殺しになるたい」と笑っていた。

小学二年だったその頃、やさしいやさしい川瀬先生が担任だった。やさしさに甘えて嫌だった風呂の事、簀巻きの事を先生に一生懸命話した。「そんな嘘を言って・・」と、見たことの無いひきつった顔をした川瀬先生は、それから、私と目を合わせなくなった。可哀想かね・・、可哀想かね・・と、慰めてくれる先生の声をただ妄想して悲しかった。

どうして川瀬先生は可哀想かね、と、頭を撫でてくれないのだろう。どうして大人はみんな、私を自由に出来るんだろう。
黄金バットの舞台で子供を死なせてしまった教師の役を稽古しながら、幼かった頃のそんな切ない気持ちを思い出している。

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